言葉は通じるのに話が通じないという…これは奇妙な恐ろしさだった。

週刊少年ジャンプについて感想を話す「ジャン談」というpodcastがある。

島根県在住の明日さんと、埼玉県在住のおしこまん!がラップを交えつつジャンプを語り合う。

自分はジャンプ購読者ではないが、そのゆるい雰囲気とお二人のユーモアに惹かれて聴いている。

お互いの近況など、ジャンプ以外の話題を話す「フリートーク」も別途配信されている。

この回のフリートークがとても興味深かった。備忘録的に書いたものなんで長いかも。

 

最近、地元の友人と集まる機会が増えたおしこまん。しかし、ある同級生が飲みの場にいると会話が盛り上がらないことに気づいた。

その同級生は、例えば「○○君って覚えてる?」という話題があがって、みんなが○○君のエピソードを語る前に「××ちゃんっていたよね!」と別の話題に移してしまう。

だからひとつひとつの話題が掘り下げられず、翌朝「昨日の飲みつまんなかったな…」と疲れてしまうそうだ。

そんな感じでモヤモヤしていたおしこまん。たまたま東浩紀氏のインタビューを読んでビビッときた。(たぶんこれだと思います。違っていたらすみません)

cakes.mu

 「日本人はどう生きるべきか?」とか、議論しても絶対に正解が出ないでしょう。けれど、そんなことを考えても役に立たないと言って、だれも考えなくなった世界は最悪ですよ。実際、そうやってさまざまな議論を切り捨てていった先に、「保育園落ちた日本死ね!!!」という叫びだけが力をもつような砂漠のような世界が訪れてしまった。今の日本の言論状況は、そういう点で決定的に貧しいものになっている。論壇誌の見出しなんかもひどいですよ。

 件の同級生は、普段の生活で「役に立つかわからないもの」が全く無いのではないか。極端に言えば、漫画や小説を読んだり、映画を観たりゲームをするとか無い。

この話を受けて、明日さんが「ふと会話が途切れたとき、全く関連性のないトピックをガッ!と持ってくる人いますよね。ていうかそもそも、○○君の話を出した人がいっこエピソード掘り下げないですか!?」と返し、盛り上がる二人。

ジャンプの話を1時間できたり、会話のキャッチボールができるってスゴイことなんだね。

 

ここから自分の話です。去年、「会話のキャッチボールができるってすごくありがたいことなんだ」としみじみ思ったことがあった。

当時いた職場の上司と会話のキャッチボールがほんとにできなくてストレスマッハだった。

休憩時間に同僚と漫画の話をしてたら上司が「?」って顔をしてたから「この漫画すごく人気があって、実写化されるんですよ。○○が主演で…」と別の切り口から展開したら、「ふ~ん。知らないなあ」と一蹴されたり。

ニュースの話をしてて「詳しい報道がないとなんとも言えないですね」って流れで、上司が「いや、この事件はこうに違いない!過去にも似たような事件があって…」とマシンガントークされたり。

この上司、普段から「コミュニケーション力とは!」と熱論する人なのにこれだから、胃に穴が開く思いでした。

「自分がコミュ力低いのか?」と追い詰められた頃、きちんと会話のキャッチボールができる人と話す機会があって、「これが普通なんや!」と嬉しさのあまりコンビニスイーツを買って帰りました。

 

「同じ日本語を話しているのに話が噛み合わない気持ち悪さ」ってありますよね。

おしこまん!の同級生と自分の上司、話の展開の仕方は違うけど、根っこの部分は同じだと思う。

日常生活に必要な知識はあるけど、熱中するような趣味がなくて、それを突き詰めて考えたり誰かと共有する機会に乏しい。

アニメ漫画ゲームって軽視されがちな趣味だけど、自分が好きなキャラに思いを馳せたり、シナリオや設定について考察したりしますよね。

そこから興味が広がって、違う分野の作品に手を出したり、会話の引き出しが増えていくんだと思う。

「役に立つかわからないもの」が生活にない人はそれが無いか少ない。

おしこまん!みたいに東浩紀氏のインタビューを読んでビビッときたり、その話を聞いた明日さんみたいに「こういう人いますよね」と話を広げられない。

 「会話」についての価値観が根本的に合わないのかもしれませんね。

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藤子・F・不二雄先生のSF短編『ミノタウロスの皿』の主人公。

グロテスクな設定の裏に、価値観が違う者同士がわかり合う難しさを描いた作品です。

 

ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)

ミノタウロスの皿 (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)